チネイザンのセッションでも…
クラスでも…
WSでも…
家族とのご飯でも…
友達との飲み会でも…
恋人と一緒に過ごす時間でも…
私たちは…人数は違えど、誰かしらと時間や空間を共有しますよね…。
それは、生きてる限り…
きっと誰かと時間や空間を共有している事が多いと思います。
私は、チネイザンや瞑想と出会う前までは、「時間や空間を共有する」という概念すら、あまり無く毎日を過ごしていたように思います。
ただ…
私は作業療法士というリハビリの専門職の仕事をしているので、その作業療法の中で、「集団の作用」「場のつくりかた」みたいなモノは、臨床や実習などで勉強をしていました。
リハビリの学校に通っていた時、担任の先生が「意図をもって隣に座っているだけでも作業療法になる」という話をしていました。
学生の頃は、その意味がサッパリ分からず、そして臨床に出ても、日々の忙しい業務に追われ、そんな事はすっかりと忘れていました。
でも…
最近…
その言葉が…ふと心に浮かぶ事が多くなりました。
何かを特別にしなくても…
頑張って何かをしようとしなくても…
自分と相手のありのままを受け入れると決め…
自分が整っている状態で相手と一緒にいると…
その場で必要なことが自然と起こる… …
何だか…
最近は…
仕事もプライベートも…
そんな事を感じる事が多くなってきたように思います。
結局…
チネイザンも…
お腹には触れてはいますが…
もっと大きなものを共有し、共感し、共鳴しているのではないでしょうか…。
場(時間や空間)を共有するって…
こういう、すごく壮大だけど緻密で…
繊細なことを…
私たちは日々行っているのかもしれないですね…
小谷野 和子
作業療法士として10年以上リハビリの仕事に関わる中で、身体の症状の奥には心(特に感情)の問題が大きく関わっていると強く感じるようになり、「臓器と感情の関係」にアプローチするチネイザンに興味を持ち、10期チネイザンプラクティショナー養成コースに参加。2016年12月にプラクティショナーとなり、現在は作業療法士&チネイザンプラクティショナーとして活動中。
ブログ→ http://ameblo.jp/1781006/entrylist.html