チネイザンの本の原稿に追われている。
原稿の半分は、いろんなカフェで書いている。
今や書くというよりは、打っている。

そういえば、ヘミングウエイや、ケルアックが使っていたタイプライターを見たことがあって、
すごく憧れていたなあ。

1980年に、せっかくニューヨークで働き始めたのに、
僕はタイプライターを打てずに、秘書が代わりに打ってくれていた。
その頃は秘書がタイプをしてくれるシステムだった。

今は、マックで、僕でも打っている。
これは書くのと全く別行動だと感じている。

とにかく、僕はカフェで打っている。

ブルーボトルが結構お気に入り。
スタバや、コメダ、セガフレッドなどにもいく。
本当はもっと素敵なカフェがあればいいなあと思ってはいるけれど。
しかも、ノイズキャンセレーションのヘッドフォンをつけて。
これって耳に悪いかもなあと思いながら。

カフェで仕事や勉強をするということは、特にコロナ禍から一般的になった。
僕が学生の頃は、カフェで勉強なんか、ちょっと失礼な感じだった。

高校の時から、実は僕はカフェでの勉強が好きで、
秋田の駅前にあった、確か大門とかいうちょっとお洒落なカフェで勉強をするのが好きだった。
素敵な秋田美人のウエイトレスがいたことと、カフェオレっていうのが気取った感じだったのが
気分を盛り上げていたなあって今、思う。大学受験勉強をしていたんだと思う。
確か、高校生はカフェに行ってはいけないようなルールがある高校がほとんどだった。

大学に東京に来てからも、勉強というとカフェだった。
その頃は、モダンジャズが好きで、コルトレーンやマイルス・ディビスを聞きながら。
中野ブロードウエイの地下にあったジャズカフェと、歌舞伎町のこれも地下にあったジャズカフェは、
両方ともに凄いオーディオがあって、客はじっと目を閉じて聞いていた。
僕はくらい店内で、本を読んでいたり、何か書きものをしていた。
心の底で、できたら戯曲作家や映画監督になりたいかもなあって、思っていたけれど、
僕では無理だなあと決め込んでいた。

大学の友人たちが、就職に走って行った頃に、僕は文学座の演出部に合格して入らせてもらった。
僕が高校の時から憧れていた小田島雄志さんが、講師として文学座の研究所に来てくれた。
彼のシェイクスピアの訳は、ダジャレが多くって、スピード感もあって、どんな人かなあって思っていた。
声の大きな、身体も元気そうな、肌も頭もツルツルした感じのエネルギッシュなオジさんという印象が
文学者というイメージと違っていてホッとした。
彼は、翻訳は全部、カフェでやるんですと言っていた。
文学座の役者の卵たちは、へーっ、カフェでするんですかって驚いていた。
小田島さんの英語も大きな声で、ちょっとカタカナ的で、僕は素敵だなあと感じた。
一度だけお目にかかっただけなのに、印象が強く残っている。現在94歳で健在らしい。

ニューヨークに移った、1980年代は、カフェの文化ではなかったので、
カフェでの勉強はしばらくお休みになった。
今は、どこの国でもカフェで、仕事が普通になってきた。

エスプレッソ・マキアート一杯で、何時間も机を占領させてもらって、助かっている。
さて、チネイザンの本は、どうなっていくかなあ。
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