チネイザンでは、必ずお臍にアプローチします。
一見、お臍のマッサージに見えます。
チネイザンは、お臍のエッジを丁寧に指で回しながら、万遍なく触っていきます。
触られている人は、最初は不思議な不安感も持つかもしれません。
しかし、皆さん気持ちが良くなってリラックスしてきます。
触られる場所によってちょっと痛い感じがするところ、気持ちのいいところ、固いところ、柔らかいところなどがあることに気がつきます。
お臍を触っているのに、なぜか胸や腰など身体の他の部分に響いてきたりもします。
そんなことを覚えていたのかなあというような昔のことを思い出したりもすることもあります。
施術者の方も、場所によって、深さによって、かなりの違いを感じます。
お臍を触っているだけなのに、身体の他に響くことを感じることも多くあります。
このお臍へのアプローチは、チネイザンの中ではとても大切な施術です。
では、お臍とは一体何を意味するのでしょう?
お臍は、今は全く機能のない臍の緒が繋がっていた1つの傷跡とも言えます。
ところが、昔、母親の胎内に生きていた時には、臍の緒(臍帯)が胎盤に繋がっていて母親から酸素や栄養を受け取って、老廃物を母体に戻しながら、羊水の中で生きていたわけです。
お臍は一番大切なライフラインだったわけです。
お母さんのお臍は、お婆ちゃんに、お婆ちゃんのお臍は曽祖母にと繋がってきたわけです。
お臍のネットワークは、人間の命のネットワークです。人類が発生してから30億年とか言われますが、ずうっと人類のお臍のネットワークが繋がってきた。だから、僕たちが生きています。
自分が実際に子供を産まなくても、人類のお臍のつながりは続いていきます。
お臍は人類の命のつながりのシンボルでもあります。(いつか、実際に子供を産まなくても、自分が人類の命のネットワークに参加しているということも説明したいと思います。これに気がつくと命に対して大きな想像力が広がり、命への参加感が実感されます。)
お臍にアプローチしている時には、単にクライアントのお臍を触っているわけではなく、
その人のお臍を通して、人類の命のネットワークに響いているというイメージというか実感が大切になってきます。命の繋がりとか言うとなんか宗教的な感じを受ける方もいるかもしれませんが、実にかけがえのない現実です。
人間は、個として出てきたわけではなく、人種という大きな種の流れの中で生まれてきて死んでいきます。そうするとお臍が単に傷跡でもなく、臍のゴマが溜まるところでもなく、とても神聖なものであることが実感してきます。
東洋ではお臍は存在の中心と考えられてきました。
その奥に丹田があり、肝があり、考えや深いパワーやインスピレーションもその辺りにあると考えられてきました。
西洋でも、実は身体の中心と考えられてきました。レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「ウィトルウィウス的人体図」は理想的な人間のプロポーションを示したものとして有名ですが、あの図の真ん中がお臍です。
他にもお臍がいかに大切かということがいくつもあります。
お臍に触らせてもらうと言うことは、存在の真ん中から始めるというかなり大胆なアプローチだと思います。
そんな思いを、クライアントも施術者も感じながら、優しくでも大胆にお臍の施術を楽しんでもらえると、思いがけない発見や変化があるはずです。
このお臍のチネイザンは、丁寧にやると30分もかかります。
お臍だけなのに、様々な効果が期待されます。
慢性の腰痛、生理痛、便秘症、胸焼け、冷え性、生理不順、不眠症、不安、消化不良、偏頭痛なを緩和することが多くあります。
このような効果と思われることは、お臍のどこをどうしたからと言うのではなく、お臍に心を込めてアプローチした結果、クライアントの身体や心や考えがどこかに動いた結果だと考えます。
どんなことが起きるか、これもあんまり期待しすぎずに淡々と行うところが、チネイザンの方法だと考えています。